ピエール=ジョゼフ・ルドゥテ (Pierre-Joseph Redoute、1759年7月10日 - 1840年6月20日)は、南ネーデルラント出身のベルギーの画家。「バラの画家」として知られています。
ユリやバラなどの植物を描いた博物画を多く残しており、「花の画家」「バラの画家」と呼ばれています。
銅版画による多色刷り印刷を確立した人物と言われる場合もありますが、彼の作品はすべて手彩色による修正が施されています。
ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌがマルメゾン宮殿にバラ園を営み、世界中からバラを蒐集していることを知ったルドゥーテはバラの絵を描く事を思い立ち、ジョゼフィーヌからバラ園の出入りの許可を得ました。以来、ルドゥーテはマルメゾン宮殿のバラや他の植物の絵を書くことになったのです。
「バラ図譜」はジョゼフィーヌの死後の1817年から1824年にかけて全3巻に分けて出版されました。「バラ図譜」には170種のバラが精密に描かれ、芸術的価値だけではなく植物学上も重要な資料となっています。
「バラ図譜」の原画は1837年にベリー公妃、マリー=カロリーヌ=フェルディナン=ルイズ=ド・ブルボンの口利きで国家に買い上げられることとなりますが、1871年のルーブルの図書館の火災で消失したと言われています。
祖先はネーデルラントの騎士でしたが、芸術家を多く輩出する家系であり、職業画家となる人物が多かったようです。 ジョゼフの父は宗教画家、兄弟は装飾画家を務めており、幼い頃から絵に親しんでいました。
10代後半からパリにある兄の工房で装飾画家を務めていましたが、植物学者シャルル=ルイ・レリチエ・ド・ブリュテルの著作「新種植物の記述」の挿絵を手がけたことから博物画(植物画)の世界に入りました。
王妃の蒐集室付素描画家、自然史博物館付植物画家、自然史博物館付図画講師を歴任し、金銭的には恵まれていましたが、浪費癖があったため生活はしばしば困窮し、死の直前には銀食器まで売り払うほどだったそうです。